2012年6月30日土曜日

私のアトピーが楽になったわけ(症状と生活)

テルミーとヨモギクリームとマクロビオティックの食事だけで治そうと決意したものの、かゆみとのお付き合いの日々が始まりました(-_-;)
 

 テルミーの治療を終えて帰ると、さっそく、先生に勧められた渡辺正医学博士の書かれた「朝食抜き!ときどき断食!」を購入、わらをもすがる思いで読みました。
 ここでは、腸を休ませることがいかに大事か、腸を休ませることで解毒作用ができる、と書かれていました。自分の症状に合わせ、食事の内容と時間、スタイルを変えてく決心をしました。
朝食を抜いて、土日の休日には断食を実践しました。

 食べるものは初めはご飯とゆで野菜に塩だけでした。そして様子を見ながら少しずつ食べる野菜の種類を増やし、使う調味料の幅を広げながら、マクロビオティックの食事を続けていきました。
なんだか、離乳食のようです。・・・そう、疲れ切った私の内臓は赤ちゃんのようにデリケートになってしまっていたのです。すごくこき使っていたんですね~ごめんなさい、わたしのからだ・・・。

 そのころの生活は、直射日光や日差しはもちろん、空気も痛いので、(体中がケロイドのように赤むけしてブツブツと湿疹ができいて、ジクジクと汁が出ている状態です)ミイラのように包帯やさらしを巻いて、頭からスカーフで覆いイスラム教徒の女性のようにしていました。
 それでも包帯やさらしの刺激でかゆくなるのです。そして、トイレに行くときにズボンを下ろそうとすると、その摩擦で痛く、せっかくできてきたうす~い皮を一瞬でむいてしまうのです。
 かゆくて仕事中に何度もヨモギのローションとクリームを塗りに更衣室に駆け込みました。
 通勤途中、車を停めてテルミーをし、昼休みには外に出て、テルミーをしていました。
冷温器でこすっている間はなぜかかゆみがひくのです。

家に帰るとすぐに、子供と一緒に、テルミー線を煮出した汁をお風呂に入れた、テルミー風呂に入ります。お湯もしみる肌でしたが、優しいテルミーのお湯は痛くなく、保湿効果もあったので、とても楽でした。
 

その後、かゆみがひくまで、裸になって3時間はテルミーするかローション、クリームを塗ることしかできませんでした。体から手が離せないくらいかゆくて痛かったのです。そして時々「あ”~~」と叫ばないといられないくらいのかゆみがやってきました。
 
 

 子供の食事の支度もできません。 子供たちは、前日作っておいた夕食を自分で温めてもらって食べてもらっていました。(当時兄3年生、弟年長でした)
 

 ようやく家事ができるのは、夜10時以降です。
 ケアをし続け、少しかゆみが収まった時に、次の日のお弁当作りと夕食作りをしておきます。
 朝もかゆみを我慢しながら、夜中にかいてしまった後のケアをし、仕事に行くための包帯やさらし巻きで時間に余裕がありません。(今までより1時間早く起きていたのですが)
 それでも、職場で食べる昼食も、野菜料理とごはんのみの食事にするために、お弁当が必要です。朝できない分、夜のうちに作っておきました。
寝るときには、夜中にかきむしってせっかくできてきた薄い皮膚をまた壊してしまうため、手袋をしたり、体中にさらしや包帯を巻くのですが、そうするとせっかく引いていたかゆみがまたうずいてきて、眠れるまでに1~2時間かかるのです。
 夜中にもかゆくて目が覚めて、自分で選択した方法であるものの、かゆみと痛みと寝不足で、本当にこのままずっと生きていられるのか、いつまで続くのか、とつらい毎日でした。

そんなときに支えてくれたのは、同じアトピーとともに生きて頑張っている人たちです。職場にいた仲間の励まし、ネットで検索して頑張ってる仲間の言葉・・どれだけ支えられたか!!感謝です。
(だから私も少しでもお手伝いできればとブログを書いています)
それでもどんどん広がっていく湿疹・・・。子供は私の体を見ては「またこっちにも赤いところができてるよ!」と心配していました。

 そんな鬱々とした日々が続き、1か月ほどたったある時、料理番組が目に入りました。
素手で食材をこねているのを見て、今の自分には考えられないこと!見ただけでかゆくなります。

 その時、いままで普通にやってきたことが、実はとってもありがたいことだったんだ!と実感しました。

 本当に薄い、何ミリという表皮が私の体を外界から守っていたのだ、と感じ、人間が持っている、からだの一つ一つは私なんかが考えが及ばないほど貴重なものなのだ!と・・・その神秘に改めて驚き、こころから感謝しました。

そんな神秘なからだが私を殺すわけがない!生かすために出している症状だ、と心から納得できました。

その時から、また少し気持ちとからだに変化が現れました。(続く)



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